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どのように呼びたくて、どのように呼ばれたいのか

Category: 雑記
Tags: ポエム

発端

先日いきなりガバナンス/コンプライアンスに関するアンケート依頼のメールが届いた。時期的に考えても、恐らく某メディアに関する報道を受けての調査だと思う。その中で気になる質問項目があったのでここに留めておきたい。 既にアンケートに回答してしまったため、遡って質問を見ることができなかった。記憶を掘り起こして書いているため、設問や選択肢などの文言は多少異なっている可能性がある。

上司/先輩から部下/後輩に対する呼び方について

設問1: 「どのように呼ばれているか?」

  1. さん付け
  2. くん付け
  3. あだ名
  4. その他(詳細を記載)

設問2: 「どのように呼ばれて、それをどのように受け止めているか?」

  1. さん付け
  2. くん付け
  3. あだ名
  4. その他(詳細を記載)

他にも選択肢があったような気がするが、大雑把にいえばこんな感じだったと思う。 僕は普段あだ名で呼ばれているため、設問1については素直に3で回答したが、設問2については4の「その他」で回答することにした。

偏見か、憶測か

一方的な蔑称、例えば身体的特徴や性別に基づく偏見を含む呼び方については自分も反対ではあるが、それを面と向かっていう勇気など基本的にはないだろうから、除外しておく。(ブタゴリラは本当に酷いニックネームだけど、フィクションだから許される?)

自分が思ったのは、設問の上部にある、「さん付け」「くん付け」などを推奨あるいは誘導しているのではないか、ということだ。エグゼクティブ向けの研修を受けた上司が、ある日いきなり呼び方を「さん付け」に変えてきて困惑した、という話を同僚から聞いたことがある。小学校でも「さん付け」するような指導が俄かに普及しつつあるらしい。

「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる | 読売新聞

「あだ名や呼び捨ては、相手を嫌な気分にさせることがあります。さん付けは、人を大切にする呼び方なのですよ」と続けた。

子どもの敬称(さん・くん・ちゃん) 意味の解釈がわかれる語の扱いについて | NHK

場合によっては,子ども相手でも,「ちゃん」という呼びかけは相手を軽く扱っているようにみえる場合がある。「さん」は,相手をちゃんとリスペクトしているような,オフィシャルな印象を与えることばであり,男女にかかわらず「さん」で呼ぶということがだんだん増えていくのではないか。また,事件・事故のときこそ,「ちゃん」ではなく「さん」で呼ぶという考え方もあるのではないかと思う。

様々な意見があるが、こういった教条主義的な統一の方向は、個人的には望ましくないと感じている。因果関係が全くの逆なのだ。「相手を尊敬している」からこそ「さん付け」をしようと思うのであって、「さん付け」をしたからといって「相手を尊敬する」ということにはならないと思う。

また、普段の一人称が「私」ではないのに、社会人になってビジネスマナー講師に何かを吹き込まれたのか、一人称が急に「私」に染まってしまう人も若干苦手である。商談での会議など、他所との対外的な関係であればごもっともであるが、せめてチーム内とか、同僚の間柄では何か別のもの(自分、僕、俺、ワシ、ウチ、アタイ、某、など)であってほしいと思っている。

こうした均一化の方向は、いずれ親密度に対する感じ方を鈍くするのだということを強く危惧している。

詰まるところは

話が大分脱線してしまったが、結局は呼び方/呼ばれ方も含めて、コミュニケーションとは関係性がすべてだと思う。自分が気に入らない呼ばれ方をされたら、ちゃんと声をあげよう。

因みに自分は父親に「へっち」「ヘッチョーニ」などと呼ばれている。弟にいたっては「コラーゲン」「ももむらくん」だ、全く訳が分からない父親である。小学校/中学校の時に再三と抗議したが、今でもその呼ばれ方は変わらない。ただ関係性はいつまでも良好であるから、今では一切気にならなくなってしまった。