ヒゲと赤信号
ヒゲとの付き合い
今では口髭とあご髭ともみあげが繋がっています。あまり覚えていませんが、大学生の頃くらいからあごに生えていたんでしょうか。当時は3日に1度くらいは剃る程度だったような気がします。中華料理のバイトで働く時はちゃんと剃っていました。
社会人になってからは、2日に1度くらいに頻度が上がりました。幸い、青髭になるタイプではなかったので、朝に余裕がなくて剃り忘れてもまぁ大丈夫か、くらいな感じで乗り切っていました。エンジニアという職業柄か、現場でも特にうるさく言われることもなかったと思います。
ヒゲを伸ばし始めた時期は正確には覚えていませんが、5年前に今の会社に転職してからなので、おそらく3〜4年前くらいのことでしょうか。この頃は1ヶ月くらい伸ばしてみて、結婚式のタイミングで一気に剃ってみたり、友人に勧められたヒゲトリマーを買ってみて、たまに5mmに揃えてみたりといった感じでした。
妻との初デートではちゃんと剃っていたので、身だしなみとしてヒゲを剃るという意識はあったはずです。その後は妻がヒゲ好きであることが判明したので、伸ばして整えたりといった感じです。ヒゲに対しては割と寛容だったので、たまに思い切り伸ばしてみたりといったことをやり始めました。
「そのヒゲ、会社は大丈夫なの?」
ヒゲがある程度伸びてからオシャレなヒゲではなくなってくると、親族や友人らと会う度にこのような言葉をかけられるようになりました。もちろん、特に悪気があるわけではないんでしょうが、質問の意図としては「ヒゲを伸ばしていて(あなたは社会人として)大丈夫なの?」ということになります。そういう時は「エンジニアだから、社外に出ないし、特に問題ないよ」と言ってその場をやり過ごしていました。
ちなみに、直接的には"会社がヒゲを許容できるかどうか"を聞かれているわけですが、"会社は許容しないか、注意のようなものがあるだろう"ということを想定した質問なので、勝手に読み替えています。仮に会社が許容していたら、その会社がヘンということなので、結局は同じことです。
面白いことに、会う人会う人が一様に同じようなことを尋ねてきました。僕も多少ははみ出ものの自覚がありましたけど、流石に変わり映えのない質問に少し疲れてきました。たまに会う人に「ヒゲが伸びたねぇ」と言われるのはただの変化だから、問題ではないんです。
問題は「ヒゲがあること=(大小あれど)社会から逸脱している人」という認識を持っていて、かつ悪気はない人です。悪気がある人に出会ったことはないですが、その場合そこには明確な意図がありますから、まだ対処の施しようがあります。
ジェームズ・ハーデンは?
もし「ヒゲがあること=社会から逸脱している人」の理屈が正しいとすると、NBA屈指のヒゲを持つジェームス・ハーデンは、社会から相当逸脱していると言えなくもない。いやちょっと待ってください、彼はアメリカで働いているから全然関係ないでしょう?
では板垣退助はどうですか。時代が違いすぎるので比較になりませんね。
山田孝之はどうですか。俳優なので、役作りのための道具となるでしょう。
「おしゃれ」とか「めちゃくちゃ似合ってて、ないと不自然」とか「映画でオッサン役のオファーがかかったらすぐに対応できる」といった正当な理由がないと、社会からはなかなか受容してもらえません。
赤信号 みんなで渡れば怖くない
この言葉を考えたのはツービートらしく、今ではことわざとして認識されて辞書に載るようになったそうです。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」というのは、日本人の国民性を表した言葉でもある。日本人というのは、みんながやっていたり、普通であったり、当たり前であったりするようなことに流されやすい傾向がある。日本人の相手に対しての行動を促す場合には、みんながそれを行っているということを理由として促した場合には、相手がそれを行うようになりがちである。みんなはやっているのにあなたはやらないのですかという空気を作り出したならば、やっていない自分の方がおかしいのかもしれないという心理が働きがちなのである。
※ 道路交通法を調べたら信号無視は2万円以下の罰金のおそれがあるとのこと。実際に罰金刑となったケースは少ないみたいですが、お気をつけください
「そのヒゲ、会社は大丈夫なの?」などと聞いてくる人たちの多くは、みんなで赤信号を待っている人だと思っています。その人たちは、社会が許してくれない限り、自分で赤信号を渡れません。いわゆる世間様というやつですね。自分は信号が変わるのを待っているのに、勝手に赤信号を渡る人がいたら、「大丈夫かなぁ」と心配になってしまいます。最悪の場合、「俺は信号を待っているのに!」といった調子で怒って攻撃してくるかもしれません。(幸い、まだそのようなタイプの人とは出会っていません)
「その赤信号、渡って大丈夫なの?」
大丈夫だよ。と爽やかに言いたいところですが、思ったより大丈夫という感じでもありません。少しだけ苦しいというのが本音です。なぜなら、僕自身としては赤信号を渡っているつもりはないからです。でも、みんなにとっては赤信号みたいなんです。
心配するのは他所様の勝手なんですが、「その赤信号、大丈夫?」と毎回聞いてくれるので、ちょっと疲れてしまいますし、何より自分が社会に馴染めていない人みたいで嫌じゃないですか。
でもまぁ、大丈夫です。
たかがヒゲのことで正しい・正しくないを語るのはあまり意味がないですし、僕自身、ヒゲをどうしても生やしたいかと言われれば、別に剃ることがあっても良いかなぁくらいには思っています。でもここでヒゲを剃ったら、世間様の圧力に屈したという構図になるので、引くに引けないという気持ちもあります。というのが、近頃の話です。
VS世間様
「群れをはみ出そうぜ」だとか「You、渡っちゃいなよ」などというつもりはありません。人の信条は自由なので、きっと赤信号を待つことも悪いことばかりではないでしょう。でもいくつか考えてみてもらいたいことがあります。
赤信号は誰が置いたのでしょうか。
それは、社会であり、先人であり、文化であり、赤信号を守っている人たちです。直接的には義務教育や、一般企業なんかもその一部かもしれません。
なんのために赤信号が置かれたのでしょうか。
島国の文化的気質というのは大きく影響がありそうです。陰謀論チックですが、誰かが管理しやすくなるように仕向けたという可能性も否定はできません。
では、なんのために赤信号を守るのでしょうか。
おそらく具体的な理由はないと思います。「だってそうなっているから」というレベルの話だと思います。あえて掘り下げるならば、「社会から逸脱したくない」とか「社会や文化が変わってほしくない」というようなことが無意識の願望としてはあるかもしれません。
僕も別に「社会から逸脱したい」という願望を密かに備えているわけではありません。あくまで「ありのままの自分でいたい」という方向で物事を考えています。なので、ヒゲの有無はこの際どっちだって良いんです。問題は、「ありのままの自分」を目指した途端に水流が急に強くなって、頑張って逆行しなくてはいけないような感覚を覚えることです。たかがヒゲ、されどヒゲです。
相手に"悪意がない"のも、これがまた実に厄介な問題だったりします。決して僕を不快にさせたりするつもりもなく、「大丈夫そ?」くらいの感覚で聞いてくるんだと思います。もしかしたら、当人の中で「社会的規範 VS ヒゲ」の認知的不協和の解消作業が行われているのかもしれません。
悪意がないところに抵抗している構図は、はたからみると"被害妄想"という感じに映るのだろうなぁ、というのも厄介ポイントが高いです。世間様という不可視の権力に対して、ファイティングポーズをとっているようなものですからね、流石の武井壮もドン引きといったところです。
ということで、自分で逃げ道を少し潰してしまっているような感じではあります。まぁでも一生ヒゲを伸ばすという訳にもいかないので、どこか適当なタイミングで、チョッキンとやるんじゃないでしょうか。少々愚痴っぽい内容になってしまいましたが、ちょっとずつ、心を軽くしていきたいと思います。
次回のブログは「脱毛サロン 入会キャンペーン リセマラ100回やってみた!」です。お楽しみに〜。